2013年12月31日火曜日

ミャンマー・ツーリングルート

ミャンマーのツーリング経路は、マンダレー→ピンダヤ1泊→カロー1泊→ニャウンシェ(インレー湖)→カロー1泊→ニャウンウー2泊(バガン王朝)→マンダレーです。

2013年11月30日土曜日

ローンライダー・イン・ミャンマー

2013年11月12日
タイエアウエイズで福岡→バンコック バンコック乗継 ヤンゴン着、泊

2013年11月13日
夜行バスでヤンゴン→マンダレーへ。14日早朝着。 予約していたロイヤルゲストハウスへ早朝からチェックイン。
マンダレーの一押しゲストハウス! Royal Guest House 彼女はここの従業員。 顔にタナカを塗っている。

2013年11月14日
マンダレーモーターバイクにて、ホンダXR125Lレンタル。
https://www.facebook.com/MandalayMotorbike
@40,000kyat(チャット)/day×6days=240,000kyat (約10kyat=1yen) インレー、バガン入域許可証取得費用 200USD バイクレンタル後、バイクと共にゲストハウス泊

2013年11月15日
マンダレー→ピンダヤ 222km  下痢でダウン。異常に疲れて夕方ピンダヤの宿に着くと、そのままベッドで翌朝まで爆睡。

2013年11月16日
ピンダヤ→カロー 52km 下痢が続き、バルーン祭りで混んでいるインレー行きを諦め、近くのカローに変更、移動。

2013年11月17日
カロー→インレー湖→カロー 147km カロー拠点にインレー往復。インレー湖はバルーン祭りで欧米人が押しかけていて、観光地バブル真最中。ホテル代が通常の2倍、3倍になっている。早々に引き揚げる。

2013年11月18日
カロー→マウントポパ→ニャウンウー(バガン) 321km 夕方、宿にチェックイン。ハンドルロック機構がロックしたまま開錠できなくなる。 近所のバイク屋さんに修理依頼するも、時間切れで明日に持ち越し。
マウント・ポパ
スイス人のニコレット。1年間の世界一周中。40歳。

2013年11月19日
朝から近所のバイク屋さんを呼んで修理開始。ハンドルロック部にアクセスできるように分解。ハンドルロック機構部のストッパー受け部がオイル切れでストッパーが受け部に固着して動かなくなっていたのが原因と判明。
ニャウンウー(バガン) 34km 午後からバガン滞在、周遊。

2013年11月20日
ニャウンウー→マンダレー 238km
バイク返却、走行距離1014km。
  下痢症状は継続して体調不良、食欲不振のまま予定通りツーリング終了。 その後、ヤンゴンに移動。
マンダレー近郊のインワ王朝の遺跡。
ヤンゴンのアウンサンスチーさんの実父宅前にて。
旅の記念に一応タナカを塗ってみる。ヤンゴンのゲストハウスにて。
END

2013年7月30日火曜日

シーレート湖に蒼き狼を見た(モンゴル)





2013年6月23日
 ソウル、北京を経由してやっとウランバートル着。モンゴルはこれで3回目だ。早速馴染みのLGゲストハウスへ投宿。荷解きもそこそこにすぐノミンデパートへ向かう。SimフリースマートフォンのモンゴルSimを購入するのだ。デパート内にあるMOBICOMのショップでSimカードを購入するも、インターネット接続手続きはここでは出来ないので、近くのテディセンターへ行けとのこと。

 早速テディセンター4階へ行くと、MOBICOMのサービスショップがある。ここで、もともとノミンで買った電話Simにデータ通信の付加手続きをやってくれる。追加料金を支払い、設定をいろいろやってもらって晴れて!?モンゴルでの電話とインターネット接続が可能になった。IPフォンの050+で友人や自宅へ無料電話してみるが、北京と違って回線に余裕があるのか、空気が澄んでいる!?ためか電波状態はパーフェクトで隣で会話しているような感じで、何の問題もない。

 IPフォンの050+はスカイプなどと違って固有の電話番号が付くので普通の電話のように使える。自宅と、持ち歩くスマートフオンに050+番号を持ち、海外から自宅へ無料電話するのだ。これまで、ソウル、北京でも通話できた。ただ、北京は人口が多いせいか回線が混みあっているようで実用には耐えなかった。

 今回のツアーを依頼したチェキツアーズはここテディセンターの近くだ。歩いて集合場所のチンギスシネマへ向かう。暫くしてやってきたのは40歳代と思しき女性経営者チェキ。歩いてすぐのチェキツアーズへ向かう。ここがなんと貨車コンテナを地面に置いたコンビニショップ的な店がメインの、小さな小さな、旅行会社だ。「アレ~、ホームページの洒落たイメージと違う!」と思いながらも表情には出さず、明日からのツアーの打合せだ。 

 ビャンバ、22歳のホレ大学英米語学専攻の4年生の若者。なかなかの好青年。このツアーのガイドだ。ちなみにモンゴルでは姓は無いので名のみだ。8日間のガイドと中国製バイク150cc2台の基本料金が1日50ユーロで400ユーロ。テント、寝袋、クッキングストーブ、川や池から補充する水の浄水器レンタルを追加して合計464ユーロ。保証金が200ドルとパスポートを預ける契約。道中の宿代、食事代、ガソリン代は二人分を都度私が支払う条件だ。ツアーコースをハラホリンから南下すればゴビ砂漠だが、悪路で人家も人もあまり無く、ハードだから北上するルートが道路も良いしお勧めとのこと。明日の7時に集合となった。旅の資金として6万円をモンゴル通貨に両替する。867000トッグルグ。

ウランバートル市中心街の
     コンテナショップのチェキツアーズ。

                                             
 

6月24日
 「ホエルミャンガーボルホー?」にわか仕込のモンゴル語を操りながら、約束の7時にチェキツアーズへ到着。ここモンゴルは、白タクが普通に流通している。道端で停止合図を出すといわゆる白タクがすぐ停車する。
 後になって知った白タク相場は、キロ800トッグルグだそうだが、チンギスシネマまで2kmまでと知っているので、白タク初心者だがモンゴル人になりきった私は、なれた手つきで白タクを停車させ「2000トッグルグで良いですか」と一応事前交渉しているのだ。1ドルが1445トッグルグなので、生活実感相場的に1000トッグルグは100円と見るのが正しい。

 支払い手続きや契約を済ませ、荷造りも完了して8時に出発だ。ビャンバの先導でウランバートル市内の大交通混雑をすりぬけ古都ハラホリン村(カラコルム)へ向かう。3年前にも同じ道を走っているのだが、今回はアスファルト道路が途中で途切れ、周辺の土漠のダートへと突入。途中から雨も降り出して、砂嵐も吹きつけてくる。雨水でぬかるんだ道と格闘しながらずぶ濡れでやっとハラホリンへ到着。3年前より道路事情が悪くなっている。聞くと、モンゴルではアスファルト舗装の厚みが薄く、アスファルトに穴が開き、すぐ道路が壊れるのでいつも工事中だと言う。周辺の土獏地帯が道に早替わりするのだ。日本で言えば東京~京都的なイメージだが、人口密度の疎らなここモンゴルらしく交通量はほとんど無い。

 モンゴルの道路事情は、ウランバートル市を中心にして地方の主要都市を結ぶアスファルト舗装国道が7~8本程度放射線状に延びているだけでそれ以外の舗装道路は皆無である。つまり、草原や山や丘に自然に出来たわだち道がすべてだ。わだち道が掘り返されるとすぐその横にまた新しいわだちができる。それが5重、6重にも拡がるのだ。滑らかに見える草原も丘あり、谷あり、川あり、土漠があり、うねっているのだ。そして、そのわだち道にはあらゆる路面状況が待ち受けている。傾斜したわだち、粘土交じりの水溜り、うねった木の根に岩と草、砂利、ごろごろした岩やタイヤがパンクしそうなとがった岩、小石交じりの土、粘土状の土、10センチ位の浮き砂、湿地、そして川。


世界遺産のモンゴルのチベット仏教寺院であるエルデニ・ゾー真ん前のツーリストキャンプへ投宿。ずぶ濡れで寒い。エルデニ・ゾーは、ハラホリンの草原の中にある、108個の白い仏塔で囲まれた400m四方の敷地の中に建つ寺院群だ。

当時は壮麗に装飾を施されていた寺院も、現在は当時を偲ばせるものはあまり多く無く、チベット仏教建築や、チンギス・ハーンが煮炊きに使用したとされる大きな鉄鍋、オボー(土地の神)として祀られている亀石、オゴタイ・ハーンの宮殿跡などがある。往時のカラコルムは、東西交易の中心地のひとつで、世界のあちこちから文化や民族の集まる国際都市だ。ここは2回目なので軽く見やる。


 ゲルに入りストーブで衣類を乾かしながら干す。雨をたっぷり吸い込んだ濡れた革ジャンがずっしりと重い。当然シャワーは無い。ツーリストキャンプとは遊牧民の住居であるゲルと呼ばれるテント形式の簡易ホテルだ。うどんのような麺と細切れの羊肉を炒めた焼きうどんが夕食だ。モンゴルの食事は、日本のような宴会料理風なものではなく、基本単品で極めて質素なものだ。空港免税店で買ったウイスキーを取出しチビリ、チビリ飲む。緯度が高いせいか夜は9時過ぎまで明るい。穴ぼこだらけのアスファルト道路250km、オフロード走行130km、計380km。





 ウランバートル郊外のオボーで旅の安全 を祈願する。日本の道祖神的なもの。
 
   



ハラホリンのツーリストキャンプ。
 
         


6月25日
 今日は天気も回復したようで、朝食を食べながら今日のルートを検討し、オルホン川渓谷沿いにトップン寺院に向かうことに決定。ガソリンスタンドへ寄りオクタン価92を給油。1リッター1600トッグルグと日本と同じ価格で高い。モンゴルの平均月収4万円から見ると異常に高い価格だ。

 バイクは中国・重慶市のSHINERAY社製でムスタングー5という150ccのバイクだ。ガソリンタンク容量12L、燃費は35km/Lは行くらしい。ホンダのバイクのコピーらしく粘りのあるエンジンで、すこぶる燃費が良いのだ。このバイクがモンゴル中を席巻しており、最近では遊牧民は必ずこのバイクを保有している。放牧の群れを追ったりするのを馬に換わってこのバイクでやっているのだ。

 万一、故障しても遊牧民から部品なども融通できそうだ。だから草原で乗るバイクはこのムスタングが最適なのだ。何でも新車で12万円程度らしい。モンゴルのバイクツアーでチェキツアーズが初めてこのムスタングを使ったツアーを売りにしているのだ。チェキツアーズでは、このバイクを10台保有している。

 ハラホリン村を出てすぐにオルホン川沿いに進む。もちろんまともな道ではなく、砂利道あり、草地あり、浮き砂あり、川あり、木の根と石と草が入り混じったわだち道を進む。渓谷沿いなので道はわりと平坦でなだらかだ。ところどころ羊や牛や馬が放牧されていて周りの景色は素晴らしい。
モンゴルの中央部、首都ウランバートル南西のオルホン川流域のオルホン渓谷は、昔から豊かな草原が広がる肥沃な土地で、北アジアの遊牧民族国家は必ずここを本拠地とした。このあたりは石器時代からモンゴル帝国の時代までの数多くの考古学遺跡が残っている。
8世紀のトルコ系の遊牧国家、ウイグルの都の跡とされるカラ・バルガスン遺跡、ウイグルに滅ぼされるまで、モンゴル高原から中央アジアまでを支配した突厥(トッケツ)の遺跡に残る石碑、1220年にチンギス・ハーンが町を建設した、モンゴル帝国最初の首都カラコルムの遺跡、カラコルムに16世紀に建てられたチベット仏教のエルデニ・ゾー寺院などの史跡があるこの一帯は世界遺産に登録されている。

 渓谷を走りきると、徐々に山道へ入り高度をグングン上げていく。道は徐々に坂道となり木の根と石と草が入り混じったうねったような、わだち道になる。目的地に近づいたかと思うようなツーリストキャンプが現れる。どうも車が入れるのはここまでで、これから僧院までは歩き約1時間とのこと。  

 我々バイク隊は構わず進むがさらに、延々と続く急な坂道でうねった木の根と石と草が入り混じったわだち道を慎重に進む。我慢の運転を続けているうちにやっとトップン僧院入り口に到着。ここもチベット仏教寺院でゲルに住む僧が寺院を守っている。モンゴルでは一大観光スポットになっているらしく入場料を取られる。山の頂が岩山になっていて、途中の僧院を見ながら崖をよじ登って頂上までたどり着く。

 ここは17世紀ごろ創建のチベット仏教の寺院。社会主義時代には破壊されたが、近年再建された。ここには狭い洞窟があり、そこをくぐると御利益があるということで、大勢が胎内くぐりの順番を待っている。
 頂上はタルチョがはためくチベット式の石積みの塔オボーがある。見晴らしがよく、眺めを堪能する。ここはトッフンシレット山山頂、標高2000mを超える。

 さて、今夜の宿はどこだ。山を下った先のバトルジ村へ行くことにする。もと来た道を下りオルホン渓谷沿いのバトルジ村を目指す。山を下り草原に出るとビャンバが飛ばす、飛ばす。草原はうねっているので500mも離れれば姿を見失う。気があせりながら草原のわだちに水溜りを発見。迂回しようともするが40~50kmくらいのスピードが出ているのでそのまま突っ込む・・・と、見事に大転倒!!

 わだちの左側に投げ出される。すぐバイクを起こし後を追うが、転倒のショックでチェンジレバーが変形しグラついている。前輪フェンダーが左右方向にずれて真っ直ぐ走れていない。前方キャリアの支持ステーが2本ともショックでねじ切れている。左肩と左足が打撲でひどく痛む。ビャンバに転倒したことを告げるが、バトルジ村に宿が無いことがわかったので今晩はテント泊だ。

近くの商店で食料を買い込み、再びオルホン川沿いを目指す。テント設営を終え、ビャンバがチェンジレバーの修理をする。モンキーレンチを金槌のように叩いたりしながら何とか直してしまう。フェンダーのずれを直して、キャリアステーはこれ以上動かないのでそのまま放置。本場のオフロード走行で体が興奮しているせいかあまり痛みは感じない。それにしても日本では考えられないハード、タフな全コースオフロードだ。走行距離126km。

爽やかなオルホン渓谷を行く。





  突如現れた小川、平坦なところを探して渡ると、
 粘土状の泥水につかまり
2台同時にスタック。
やっと抜け出して一息ついているところ。
初めての川渡り。





 


 





 オルホン渓谷沿いは、雄大な自然で
  素晴らしい。
いたるところで家畜の放牧が。




トップン僧院


6月26日
 人っ子一人見かけない大自然の中のキャンプ地を後にし、雨交じりの中、数十キロ先のオルホン滝を目指す。暫し休憩の後、ビャンバと次の目的地をシーレート湖に定める。
 シーレート湖はもともと、チェキが組んだコースに出てくる湖でここから南下すればゴビ砂漠へ、北上すればツエツエルリグへと向かうアスファルト道路に繋がるコースの分岐ポイントだ。ビャンバも行ったことが無いので遊牧民に道を聞きながら探しながら行く。行き止まりで何度と無く引き返す。
 
 ひたすら丘を超え、山を越え、谷を超え、湿地を超え、峠を超え、川を渡り、草原のわだちをたどり、ぬかるんでうねった木の根と草と石が混じった道無き道を行くが、なかなか湖は現れない。

 目の前に立ちはだかる大きな山に急な坂道が現れる。行くしかない、行くのだ。急坂にひるんでいるビャンバの横を通り抜け延々と続く山越えに挑戦だ。ギアはセコンド、ローでスタンディングの前傾姿勢で前輪が浮かないように、重心を前輪にかけながら登っていく。カーブでは前傾かつリーンアウト姿勢でバランスをとる。途中で止まったら再発進が難しいので、とにかく止まらない様にギア、ローでエンジンをふかしながら急坂、急カーブを登って行く。ここだ、ここが前もって習ったオフロードライディングの集大成、見せ場なのだ。このために熊本のバイクスクールに通ったのだ。長い長い、急坂をやっと登りきるが、ビャンバは現れない。ビャンバは坂の途中で、エンスト、発進を繰り返している様子だ。

 登っている最中は後ろを振り返る余裕は全く無い、自分が登ることで精一杯、自分がトラブルとビャンバも遅れるのだ。やっと現れたビャンバは左足に火傷をしている。坂道で転倒して左足に過熱したエンジン部が覆いかぶさってきたという。それを自力で起こして登ってきたのだ。良くぞ登ってきたなと思いながら暫く行くと、出ました!またまた前よりすごい急坂の山越えだ。うねる木の根っこの間から頭大の石が飛び出てその間は小石交じりの土で幅1~1.5mで急坂だ。気持ちが折れそうで挫けそうになるが、ビャンバが行くから行かざるを得ない。ビャンバが途中でエンスト。その脇をギア、ローでエンジン全開で前傾スタンディングポジションで登って行く・・・

 もう少しだ、止まるな、止まるな、でも左側は崖。急な左カーブを前傾、リーンアウトで何とか乗り切り後30mで頂上が見える途中で遂にエンスト。バイクを何とか斜めにしてずり落ちるのを防ぐ。しばし、一息入れる。頂上の手前で右カーブしていて左側はそのまま崖。路面は滑りやすい小石が浮いている。ここから再発進してもバイクが滑って左の崖に滑り落ちそうだ。

 ビャンバはまだ登ってこないが、ここでギブアップ。暫し打開策を考える。とりあえず後ろの荷物を全部外してバイクを軽くして次に備える。登ってきたビャンバは私がエンストした場所で同じくエンスト。再発進したビャンバのバイクを私が後ろから押して、二人がかりで何とか頂上まで辿りつく。私のバイクも再発進し同じく二人がかりで押し上げる。坂の途中で外した荷物をまた取りに行く。

 妙に息が切れてゼイゼイしている。うん、これは空気が薄い・・・
ここは、最後の峠らしくオボーが祭られている。日本で言えば道祖神的なものだ。峠から右手に湖が見える。シーレート湖か!?峠道を降りると遊牧民のゲルの集落に出た。シーレート湖はここからまだ10km先だという。疲労困憊の私はビャンバにここに泊まれるよう交渉を促す。1泊食事つき25000トッグルグ、馬1日貸切10000トッグルグだという。もちろん即決でお願いする。

 ゲルに入りストーブに火を入れ、小雨や川渡りで濡れた靴を脱ぎ、靴下を乾かし、衣類を干し、一息つく。
 すぐ、母屋のゲルに呼ばれ馬乳酒をごちそうになる。これだ。この馬乳酒が飲みたかったのだ。早速、「ビー、アルヒンド、ドルタエ」にわか覚えのモンゴル語で私は酒が好きですと会話。海外に行くと、酒や食事にまつわる現地語学習は必須なのだ。喉が渇いていたせいかことのほか旨く2杯をたいらげる。もちろんどんぶりで出されるのだ。飲みっぷりが良いせいか我々のゲルに私の3杯目が届く。

 出されたスワテーチャイ(乳茶)と呼ばれる塩味のお茶入りミルクティーで体を温める。出されたお茶うけが、なんとバターだ。このバターはもちろん遊牧民手作りのもので市販品のものと違って、軽いソフトな味で滋味深く妙に美味いのだ。スプーンなどですくってそのまま食べるのだ。陽射しの厳しい高原の乾燥地帯なので体内からバターで脂分やエネルギーを補給するという生活の知恵と思われる。暫し、バターをお茶うけに水分と脂分を補給する。

 携帯高度計を見ると標高2200mだ。すると先ほどの峠は2400~2500mのはず。高山病の不安が頭をよぎる。出された夕食は例の羊肉入り焼きうどん風のものだが、高山病のせいか食欲不振で少ししか食べられない。替わりにスワテーチャイとバターで水分補給と栄養補給。一心地つくと転倒で打撲した左腕と左足が痛む。膝から下が打撲で熱を持ち腫れている。向こう脛の骨の上が膨らんでいて全体が腫れている。傷はバンドエイドを貼る。くるぶしから下は内出血で真っ黒でずいぶん腫れている。痛むが骨折はしてないようだ。たまたま旧知のT氏からもらって救急袋に入れていた湿布薬を腕と足にぐるぐる貼り付ける。

 天気が悪く、雨模様だ。本降りになれば帰りの急峻な峠道がぬかるんで悪路に輪をかける・・・不安が心をよぎる・・・

 ビャンバと今後の作戦会議。天候がイマイチなので休養がてら明日もここにもう1泊し、馬を借りて最終目的地であるシーレート湖を見に行くことに決定。もともとここからシーレート湖までは道が無いので馬しか行けないのだ。さらに、シーレート湖から反対側のゴビ砂漠方面には湖で遮られて道が無いことも判明。なんと、チェキの推奨ルート通りには行けないのだ。ビャンバは陽気な性格らしくイッツOK、イッツOKと意に介していない。道が無いのも、怪我も、もう細かなことは些細なことなのだ。これで良いのだ。何とかなるのだ。立ったり座ったりの超ハードなオフロード走行距離76km。



オルホン川渓谷沿いで初キャンプ。




生まれたての子羊が、好奇心一杯に
近づいて来たので、抱き上げる。


モンゴルでは有名の観光地オルホン滝にて。
ただし、我々以外に観光客は誰もいない。

最大の難所、川渡り。水深は膝くらい。
ゴロゴロ石に冷たい水。
大石に乗り上げ転倒したが、
やっと渡りきって一息ついているところ。
もちろんズボンや靴はずぶ濡れ。


   
高山病の症状が出つつある中、
シーレート湖付近の遊牧民ファミリー
のゲルにたどり着く。




スワテーチャイとお茶うけのバター。バターのボリューム
に注目。このバターをスプーンやナイフですくって
そのまま食べるのだ。パンなどは無い。やっと一息つく。
遊牧民の食事は、夏は乳製品、冬は肉を食べるの
が特長。12食で昼食はない。朝食は一年を通して、
スワテーチャイとバターやチーズ、ヨーグルト等の
自家製乳製品。夕食まで適宜、乳製品とスワテーチャイ、
馬乳酒を摂って過ごす。野菜を食べない遊牧民は、
馬乳酒やヨーグルトなどで必要なビタミンや繊維質
を摂っている。

夏の夕食は、小麦粉を使った麺料理が多く、
干し肉を少量、ダシをとるのに使う程度。
11月に越冬用の肉を得るため家畜を屠(ほふ)り、
肉を食べて冬を乗り切り、家畜の乳の出る春を待つ。
遊牧民は営々と家畜の恵みである乳を加工して
乳製品をつくり、肉だけではなく、内臓、血液なども
無駄なく全て食べ、自己完結した食生活をおくっている。



ゲル群の中央にある、洗顔に使用する湖水や雨水
を入れる日常生活水用のミニタンクと蛇口。
これで歯をみがいたり顔を洗うのだ。

 
6月27日
 ズダーン、高原の朝もやを吹き飛ばすような銃声が響く。ビャンバに今のは何だと聞くと、このファミリーの長、シェルコドルチュ氏が放った狼狩りの一発だと言う。やはりいたのだシーレート湖の高原に蒼き狼が。ここにたどりついてやっと「蒼き狼を見た」のだ。

 遊牧民の一部族の首長の子として生まれたテムジン=チンギス・ハーンは、自分が蒼き狼の血を引くことを証明しようとして征服者たらんとする。他民族と激しい闘争をくり返しながら、やがて全蒙古を統一し、ヨーロッパにまで及ぶ遠征を企てる。65歳で没するまで侵略と略奪を繰り返した彼の征服欲のルーツである蒼き狼は今に生き続けているのだ。

 バイクのシートに霜が降り凍っている。高度が高いので朝晩の気温は低いのだ。高度1000mで6度気温が下がるので、ここは平地に比べて13度も低いことになる。
今日は、完全休養日だ。まき割りや羊の羊毛刈や牛の乳搾りで忙しい遊牧民の生活ぶりを観察。羊、馬、牛、ヤギ、ヤクを飼っていて家畜中心の生活。家畜が財産で家畜の餌となる草地を求めて遊牧するのだ。土地やものに対する執着は少ない。得られる乳から発酵食品の馬乳酒、バター、チーズ、ヨーグルト、アルヒという酒を自給自足するシンプルかつ質素な自己完結した暮らしぶりだ。何千年もこういう暮らしを繰り返しているのだ。小麦類は街中から買って来る。食事のメニューも羊肉入り焼きうどん風麺か、羊肉入りうどん風麺の2種類が基本。ホーショールと呼ばれる羊肉入り揚げ餃子はごちそうだ。

 トイレはもちろん自然トイレ。近くの草原の中に岩だらけの一角がそこかしこにありそこが自然トイレなのだ。馴れない私は、点在する岩山の中でも落ち着ける遠くの岩山まで歩いて行き用を足す。

 昼前からビャンバとガイド役の少年の3人で馬に乗り念願のシーレート湖まで往復。馬でないと来れない秘境。我々3人と馬以外誰もいない。ノーカー、ノーバイク、ノーピープル。ここが我々の目的地シーレート湖なのだ。 

 母屋ゲルの奥さんの名前はナンジェルマ。57歳。夫の名前はシェルコドルチュ58歳、ここのファミリーの長だ。ナンジェルマは10人の子持ちで、35年前22歳でこの地に来てシェルコドルチュと結婚した。一番遅い子供は43歳のときの今14歳の娘だ。10人の子供の内、何人かは違う場所で違う職業についていて、その内の何人かがこのファミリーを形成しているのだ。我々がこのゲルに泊まるのはこれまでで3組目だそうで、ここまで来る来訪者はなかなか少ないらしい。24歳の遊牧民には珍しい美貌の娘はウランバートルのイテュグン大学の大学院生で、夏休みでここに2週間ほど里帰り中だ。

 美貌の娘をウランバートルの大学に遊学させているナンジェルマは、これまで首都のウランバートルへ1回も行ったことが無いとのこと。どうしてテレビやラジオも無い、こんな山奥の辺鄙な不便な場所で住んでいるのか、とビャンバが訊ねる・・・

 「35年前に嫁入りしてシェルコドルチュと結婚し、この地に来た。そして子供を10人生んだこの場所を心から愛している」という。ナンジェルマは女性らしい気立ての良さや潔さや芯の強さが顔に出ている。家畜を増やすことが財産を増やすことになるのと同様、遊牧生活で貴重な働き手を10人も生んだ彼女は大変な資産家だ。我々は彼女をグレートマザーと呼ぼう。

羊の羊毛刈り取り。子供達の仕事だ。


乳を搾り、子供のうちから馬に乗り、家畜とともに
生きる遊牧民の生活。遊牧民の子どもは、
生き物が食べものになる過程を見ながら育つ。
食べ物がどのようにして手もとに届いている
かが見えにくくなっている日本人は、モンゴルの
食の姿から、「豊かさ」とは、「本物の食べ物」
とは何かということを考えさせられる。


ガイドのビャンバ。


彼が、乗馬のガイドです。

                              
やっとたどり着いたシーレート湖。
馬で無いと来られない秘境。
 この高原の周辺にはもともと8つの湖があり、
時期によっては干上がる湖もあり、
その中で最大で最も美しいのがこのシーレート湖なのだ。
湖水をすくって飲んでみるが当然塩辛くなく淡水だ。

 中国・新疆ウイグル自治区、タクラマカン砂漠の
ロプノールのさまよえる湖を思い出す。

シーレート湖への乗馬を終え、にわか愛馬を労わる。



6月28日
 一転して、朝から絶好の天気だ。たまたまシェルコドルチュ氏がバトルジ村まで用事があるので、我々と一緒に行くことになった。これで一安心だ、心強い。ルート検討の結果、いったんバトルジ村まで出て、それからチェチェルリグへと向かい北上するのだ。

 草原のあちらこちらで、穴からリスのような小動物が顔を出したり隠れたりしている。これはタルバガッと言い、リス科マーモットの種である。
今の時期は、まだ子供でこれから秋にかけ肥っていくという。秋口になり丸々と肥ったタルバガツは鉄砲でし止められ、内臓を捌き、肉を皮で包み焼き石で蒸し焼きにしたものをホルホッグと言う。遊牧民はこれが大好物で大変旨いらしい。ビャンバに聞くと深く頷き親指を立てた。もちろんレストランや食堂のメニューには無く、遊牧民の食卓でのみありつけるものだ。食べてみたいが、タルバガッはペスト菌を介在するらしく我々日本人にはリスクが高い。

 出発前に母屋ゲルに招かれる。ゲルの中は草地の上にビニールのカーペットが敷いてある。いつでも家畜の世話に出かけられるようにか、彼らはゲルの中でも皆始終革ブーツを履いている。
奥のベッドの前に座るシェルコドルチュ氏が勧める馬乳酒やウオッカを軽くあおる。ゲルの中には奥と左右にベッドがある。左側のベッドにナンジェルマが腰掛けて膝の上に置いたまな板で小麦粉を練る。ナンジェルマの横に座った美貌の娘が羊肉の細切れ肉と玉ねぎからなる餡を入れて包む。モンゴル人のご馳走であるホーショールと呼ばれる大型の羊肉入り餃子だ。14歳の娘がストーブにかけた大なべに油を入れ、ホーショールを揚げる。こんがり揚がったころが食べごろ。香ばしくて何とも旨い。
世話をする二人の娘たちもときどき馬乳酒を飲み、しずくを顔に付けている。化粧水代わりなのだ。

 グレートマザーの見送りを受けながらファミリーに別れを告げ、シェルコドルチュ氏の先導で快調にペースを上げる。来るときに難航した峠の急坂はシェルコドルチュ氏にならいエンストするのでエンジンを切り超スローで両足を付きながら慎重に下る。
バトルジで彼と別れ、我々はチェチェルリグへと向かう。例によってビャンバが遊牧民に道を聞きながら草原や土漠のわだち道を辿り、チェチェルリグへ向かう。チェチェルリグはかなり大きな街だ。街中に珍しく信号機がある。標高1750m。
街中で見かけたブルガンホテルへ即決で投宿。ツイン一部屋25000トッグルグ。ホテルにシャワーが無いので、近所の有料シャワーへ行く。このツーリングで初めてのシャワーだ。雨、汗、泥、川水で泥んこの体が生き返る。ここモンゴルは水道設備が無いので水が貴重なのだ。

 ホテルに併設された食堂で例によって、スワテーチャイと羊肉いりうどん風麺の夕食だ。
隣の食料品店でウオッカを買おうとすると、今日は大統領の選挙日なので酒類は販売禁止だと言う。がそこで、店の息子らしい愛嬌のある若者と英語で話す。日本人だから大統領選挙は関係ない、とか色々言っていると内緒で売ってくれることなり、小さな段ボール箱を出してきてそこに入れてくれる。ビャンバは酒を飲まないので一人でチビチビ飲る。

 これまでで、川を20回は渡った。大きな川から小川程度の川まで様々なシチュエーションの川渡りを経験した。だが、難しいのだ川渡りは。川底には大きな石がゴロゴロ転がっていて滑りやすいのだ。コツは、前より乗車位置と直進コース取りとローまたはセコンドでアクセルは開度一定にすることだ。最初は何度も転倒し、エンジンを水没させていたが今ではもう川渡りのプロ級だ。おかげで靴と足は常に濡れているがもう細かいことは気にしなくなっている。我慢のオフロード走行距離184km。

グレートマザー。

今日は、絶好の天気だ。




ゲルの内部と天井部。
馬乳酒とお茶うけの手造りバター。馬乳酒はアルコール度
1~2度で、薄いどぶろく的なやや酸っぱい味で美味い。
バターが自然の恵みものという味で、しみじみと美味い。
ナイフですくってそのまま食べるのだ。馬乳酒が作られる
期間は、馬が出産を終えた初夏から9月頃までの、
搾乳可能な2ヶ月程だけだそうで貴重だ。



右下に4匹見えるのがタルバガツだ。まだまだ子供で、
これから秋にかけて肥るのだ。巣穴を掘って生活している。
天気は快晴。荷造り完了。さあ、バトルジに向けて
出発だ。 



チェチェルリグ市 ブルガンホテル。
    

6月29日 
 今日は、一転して雲行きが悪く雨模様だ。ハラホリンの北100kmあたりに位置するウギー湖を目指す。チェチェルリグからウランバートルまで延びる待望のアスファルト道路だ。
途中で左に折れ、わだち道のオフロードを進む。途中から風雨が強く体が冷えて寒い。ロシア製の迷彩色上下カッパを着込んでいるが、これが全く防水機能が無く単なるウインドブレーカーだ。ズボンにすぐ水が浸み込みずぶ濡れで下半身が冷える。

 山、丘、谷を超えひたすらウギー湖を目指す。ここで出てきたのが、道路一面、ふかふかの細かい砂だ。カーブでスピードが出ていると滑るので中途半端な速度をキープしながら浮き砂と格闘する。前方でビャンバがフラフラとこけそうだが何とか持ち直す。ウギー湖に近づいてから更に何でもありの路面状況になり、そこもやっと脱出しやや平坦な道に入る。

 そこから、ビャンバが飛ばす、飛ばす。終には、ビャンバのテールランプが視界から消えてしまい。車も人も誰もいない雨がしぶくモンゴルの草原で迷子状態に。後を追っかけようにもわだちが何本もあるのでどれが正しい道なのか分からないのだ。下手に進むとますます迷子になる・・・
と、前方でヘッドライトが光る。ビャンバが引き返してきたのだ。また後を追う。湖の周辺にはツーリストキャンプが点在している。ここは、モンゴルでも正しい観光地で観光客も多いのだ。

 1ゲル30000トッグルグの適当なキャンプを探し投宿。早速ストーブで暖をとり靴、靴下、衣類を乾かす。重い重い革ジャンは泥だらけで、雨で濡れまくって塩を吹いていて、捨てるしかないかと思うほど無残な状態だ。夕食は例によって羊肉入りうどん風麺だ。スーテチャイかと思うと、観光地らしくお湯とイエイエコーヒーという名前の粉末コーヒー、クリープ、砂糖が一緒になったパックが出てくる。こういう所で飲むインスタントコーヒーは砂糖の甘さが妙に体に浸みて旨い。

 ビャンバが、「あなたのバイクはなぜ遅いのか?」と訊ねてくる・・・、これまでも、平坦路に入ると視界から消えてしまうくらい、若者らしく飛ばしまくるので、スローダウンしろ、と言ってやろうかと、思っていたが今まで言ったことは無かった。
ここで、頭にきたわがままな客の私は、とうとうと演説をぶった。「私のバイクが遅いのでは無く、お前のバイクが早すぎるのだ、このツーリングはお前の遊びでは無い・・・、ガイドたるお前は、お客の私をサポートしコントロールするのが当然の職務である、少なくとも視界から消えるような走りは駄目だ、それがガイドとしてのお前の仕事だ」と。

 ビャンバと二人で旅して間もなく1週間だ。ガイド一人、客一人計二人の最小のツアーだ。これまで、お互いに自由気ままに旅してきたが、ガイドとしての良い面、悪い面が徐々に現れてきた。もともと、日本風のきめ細やかなサービスなど期待するほうが間違いで、それを希望するなら完全にオーガナイズされた高価なツアーに参加すれば良いのだ。格安のチェキツアーズは行き当たりばったりの本当のアドベンチャーツアーだからもともとアバウトなのだ。旅もそろそろ後半戦、そろそろ二人旅も切り上げどきか。

 黙って聞いていたビャンバだがこの話はいったん切り上げ、雨も上がり9時になっても陽の落ちない中、湖に突き出た中州へ散歩に出かける。中州ではモンゴルの釣人がルアーフィッシングしている。しばらく見ていたがあまり釣れていない。30cmくらいの釣れた魚はリリースしている。モンゴル人はあまり魚を食べないのだ。夕食は例の羊肉入りうどん風麺だ。
アスファルト道路40km、オフロード82km走行距離計122km。
   
ウギノールと呼ぶ。ウギー湖はもう近くだ。



渡り鳥の飛来地ウギー湖の中洲にて。夜9時過ぎ。


6月30日
 今日は、朝から快晴、モンゴル日和だ。ビャンバと相談し、旅程を1日短縮することにし、ウランバートル帰着を当初の7月2日から1日とすることにする。最後の1日はウランバートルでバイク屋さん巡りの市内ガイドを頼むことにしたのだ。今日は一気にウランバートル近郊まで行きツーリストキャンプで1泊することとした。
 
 ウギー湖からオフロードを12km走って、待望のアスファルト道路へ出た。ここからウランバートルまで全線舗装道路だ。このあたりの雄大な風景はアメリカのアリゾナ州あたりの風景に酷似している。思わずグランドキャニオンかモニュメントバレーあたりを走っているかと錯覚する。そういえば標高1500m前後で標高も似ている。モンゴルでは素晴らしい雄大な道路を快走し、途中ルンで昼食休憩。フスタイ国立公園へ右折する道をやり過ごし、後ウランバートルまでもうわずかのところで、ツーリストキャンプ発見。国道を左折し3km先のツーリストキャンプを訪ねる。広大な敷地のゲートのところまで出迎えた女主人とビャンバが交渉。モンゴル人10000トッグルグ、外国人15ドルとのことで即決。

 ゲートの入り口でバイクに跨ったまま、外国人料金をまけろなどど、喋っているとなんと女主人は日本語ペラペラだ。名前はオユンさんと言って、元モンゴル日本大使館勤務で愛知県に長く在住していて、現在は広大な敷地のツーリストキャンプを経営している。日本繋がりから日本式サービスを売りにした設備を備えたキャンプだ。広いトイレ、シャワー、レストラン兼宴会場と豪勢な造りだ。今日はツアー最後の夜だ。夕食メニューは、チャンスンマハをオーダー。チャンスンマハとは羊の骨付き肉に野菜と小麦粉ナンを茹でた料理でモンゴル人最高のごちそうだ。25000トッグルグもする。ビャンバも喜んでいる。

 シャワーを浴び、リラックス。広大な草原の中の広大なツーリストキャンプ。周りを取り囲む何十倍もの広大な草原が借景となりこのツーリストキャンプの価値を更に引き立てている。「JIRIMIIN TSAGAAN NUUR TOURIST CAMP」と言い、提携している日本の旅行社の日本人客がここに送られてくるそうだ。

 ここでは、たまたま長期滞在中の日本人旅行者の石本謙爾氏41歳を紹介してもらう。彼は、約1年間世界旅行中で、アジア、中近東を旅行してきて今モンゴルに滞在中とのこと。お互いの旅について情報交換しながら、再会を約す。
オフロード走行距離12km、アスファルト走行距離256km、計268km。
 
ウランバートルに向けて、やっとアスファルト道路に出る。
天気は快晴だが、高原を吹き抜ける風は冷たい。
革ジャンとネックウオーマーでちょうど良い。



アメリカのアリゾナの風景と錯覚しそう
雄大な風景。ウランバートルに向けて、
こんな道が続く。


街道の休憩地、ルン。ここで昼食休憩。

旅も終わりに近づき、心なしか余裕が・・・
転倒ダメージ箇所 
1)前方キャリア破損、
2)チェンジペダル不調、
3)前輪フェンダーずれ、
4)エンジンガード曲がり、
5)距離計リセットつまみ折損

7月1日
 今日は、ラストラン、最終日だ。残り65kmだ。最終日なのでノーヘルで近所の小高い丘を目指して草原を散歩気分で走り回る。キャンプの皆の見送りを受けウランバートル市内へ。渋滞を極める市内へ入りチェキツアーズに13時過ぎに到着。地方出張でチェキはいなかったが、心配していた前方キャリア修理代金はわずか20000トッグルグと安い!保証金200ドルとパスポートを返してもらう。アスファルト走行距離65km。

 7泊8日の全走行距離は、アスファルト道路走行距離 611km、オフロード走行距離 610km計1221km。

マシーフ、バイラルラーチェキ、ビャンバ、モンゴル!(完)



草原のツーリストキャンプにてお見送り。
左端が経営者のオユンさん。私の左が石本氏。




チェキツアーズへ無事帰還。コーラで乾杯!

(補足)
 今回のツーリングで持参したもので使わなかったか不要なものを列記する。
蚊取り線香、蚊取りスプレー(蚊はいない)、デジタルカメラ(スマホのカメラで撮影)、GPS、プライヤー付きマルチ工具、シグボトル(酒瓶で可、空けば捨てる)、7インチ・タブレット、(スマホ1台で十分)、ソーラー充電器、懐中電灯(ヘッドライトで兼用)、醤油(モンゴルまで来て何が日本食だ)、帽子(バンダナは使うが帽子はかぶらない)、浄水器(川や湖の水を飲むようなサバイバルは無い)、日焼け止め、目薬、消毒液(遊牧民の生活を見て、唾液で消毒)、替えズボン(ジーパン1着で済ました)、予備替え多数下着(予備1式でOK)、予備充電池(ギアが減れば予備も減る)、釣り道具(釣りどころでは無い)等々。

 遊牧民の生活に習い、すっかり遊牧民化した私はリップクリームの代わりにバターを唇に塗ってみる。